理容業の歴史

私たち、理美容師の起源は室町時代(16世紀中期)の
『髪結床(かみゆいどこ)』であるとされています。

店頭には、『櫛(くし)・鋏(はさみ)・毛抜き(けぬき)』の描かれた
半円状の看板がかかげられていたそうです。

いわゆる『チョンマゲ』に、髪の毛を仕上げるために、かようおみせで
看板の形は、チョンマゲの毛の無い部分を表していたようです。

問題はこの、チョンマゲの毛の無い部分。

カミソリが発達するまでは、1本1本毛抜きで抜いていたそうです。
(なので、看板には毛抜きも描かれているんですね)

血を流しながら、痛みに耐えながら1本1本です。
(カミソリの普及は約50年後であつたとされています。)

そして、無事(?)カミソリも普及し、江戸時代になると
『髪結鑑札制度(かみゆいかんさつせいど)』
が幕府から下り、この『オフダ』がないと髪結ができなくなります。
(免許制度の始まりです。)

ちなみに、この頃になると、町内に髪結床(店舗)を構えて
営業する内床(うちどこ)と
私たち訪問理美容師のように店舗を構えずに得意先を回る
職人の出床(でとこ)との2種類の営業形態が確立されていきます。

もうおわかりのように、髪結床屋さんの名称のから
髪結の2文字を取って床屋さん(とこやさん)となり
これが、現在も名残として残っているんですね。

そして、日本も開国し明治時代に入ると
髪結床も、理容所・美容所へと変化をしていく訳ですが
そのお話しは、またの機会にご紹介しますので
お楽しみにお待ち下さい☆

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